特定非営利活動法人 元気になろう福島

―「元気になろう福島」が描く地域活性化の道筋
特定非営利活動法人元気になろう福島(以下「元気になろう福島」)は、東日本大震災の約4ヶ月前、2010年10月25日に設立された。本業である広告業に携わる有志たちと2010年に福島市で設立。現在は川内村を拠点に、同村の地域活性化プロジェクト「かわうち@WORK」や、浜通りを中心に被災した各所を巡る「福島伝承スタディツアー」などを行っている。また、広告業で得たコネクションを活かし、台湾との交流事業を中心に、海外に向けた「福島」の発信にも積極的に取り組んでいる。
ヒ ト 震災前「以上」のまちづくりを目指し活動する
日本の暮らしを支えた福島という誇り
「福島県は原子力発電所で関東地方の電気を支え、首都圏を中心に日本の食を支えてきたという自負があります。福島県には優れた農産物がたくさんあって、全国新酒鑑評会で連続日本一に選ばれたほどの良いお酒もある。しかし、農作物を生産していた方々が被災し、その後、原発事故の風評被害も深刻化しました。」
代表である本田さんは広告の仕事が本業でありその経歴は40年以上に上る。もともとは広告業界の仲間たちと福島市の中心市街地を活性化するという目的でNPOを立ち上げたが、それから4ヶ月半後に東日本大震災が発生した。
自身や両親にゆかりのある所が全て東日本大震災の被災地になった。様々な広告をベースとした地域活性化やブランディングの仕事をずっとしていたこともあり、自身の経験を踏まえて被災地の復興について何かお手伝いができないかということで現在の活動へ繋がっていく。
復興を目指して取り組みを続けている根底には、「悔しさ」があると本田氏は語る。
大好きな福島県が、震災という未曾有の出来事によってたくさんのものを失ってしまったことが悔しく、元に戻すのではなく、震災前「以上」のまちづくりを目指そうと考えたという。
着眼点 たくさんの人に福島の「今」と「これから」を
震災の記憶伝承ツアーを実施
「元気になろう福島」は、震災と復興の道のりを多くの人に知ってもらいたいという気持ちから、「福島伝承スタディツアー」を催行している。このツアーでは、福島第一原子力発電所、さらには普段は入場が許可されない中間貯蔵施設から、放射性物質について学べる場である「リプルンふくしま」そして東日本大震災・原子力災害伝承館までを2泊3日の旅程でまわる幅広い年代が参加する人気のツアーだ。この「福島伝承スタディツアー」を実施するきっかけには、対話のための場所づくりに取り組んでいるアメリカの社会変革ファシリテーター、ボブ・スティルガーさんらの訪問があった。ファシリテーターとは、中立的な立場で話し合いや語りの場を取り持つ進行役のこと。ボブさんは「今の福島を見てみたい」と家族、友人を伴って2012年に来日した。その際に南相馬市を案内した本田氏は、「このようなツアーを事業化できないだろうか」と考えたという。2015年から始めたツアーは、コロナ禍によって中断を余儀なくされたこともあったが、現在は毎月実施されている。多くの人がこのツアーに参加することにより、災害における後悔と反省が教訓として共有され、未来に伝えることを目指している。


台湾事業から世界へ
「元気になろう福島」の活動から、世界と縁をつないだものもある。「福島の復興・魅力発信を通した台湾国内での福島を応援していただく台湾市民コミュニティ形成事業」は、台湾の若者と福島が交流する国際的な事業だ。これまで、日本在住の台湾の若者が福島県の取材ツアーを行ったり、台湾で福島の魅力を発信するイベントを実施したりするなど、両国で活動を展開してきた。なぜ台湾との連携を事業化したのかと本田さんに尋ねると「浜通りの復興は日本人だけでは難しいかもしれないから。海外の協力はなくてはならないものです。」とのこと。震災の被害や原発事故は世界中で連日報道され、注目を集めた。ゆえに復興の様子も海外へどんどん発信しなければならず、日本のみならず、海外からも応援してもらえるような仕組みを整えることで浜通りが復興し、海外との交流を通じてさらなる発展を目指せると本田氏は考えている。そのため、積極的に福島の今を発信し、これからの未来を一緒に作っていけるようなツアー、連携を行ってきた。


連携 グラデーションに信頼という色を重ねて
信頼の構築が第一の仕事
地域の活性化は、住民の理解なくしては成り立たない。「元気になろう福島」も、震災後は住民からの信頼を得ることを最優先の目的として掲げている。住民の話に傾聴し、課題を抽出するところからスタートするが、「元気になろう福島」は復興事業についても同じプロセスが求められると考えている。そして福島を震災前以上に活気ある地域にしたいと考え、事業の一つとして川内村の農業支援「かわうち@WORK」を実施している。現場での農業支援のほか、他の都道府県からの移住者の支援、特産品PR事業、川内村の地域活性化コンサルティングなどを包括的に行っている。村の農業復興に向けた支援を実現できたのは、団体立ち上げからの2〜3年を、徹底的に信頼関係の構築に費やした結果だといえる。本田さんは南相馬市の出身だが、団体は福島市からの支援という形で出向いたため、当初は「よそ者が来た」と思われるのではないかと心配していたという。しかし、福島を知り尽くしているからこそ地域ごとの違いをしっかりと認識し、地道に関係を構築していったことが信頼の獲得につながった。
持続性 自分の経験と実績を次世代へ
広告業のノウハウを活動に活かす
本田さんの本業は広告業で、現在に至るまで40年以上のキャリアがある。情報を多くの人に伝えることの重要性を感じながら、広告業に取り組んできた。震災後、広告業界での経験を被災地の復興に活かしたいと考え「元気になろう福島」を立ち上げたという。本業で得たつながりや知見を活かし、経営の視点から地域活性化を進めるとともに、コンサルティングや事業支援にも取り組む『元気になろう福島』。地域活性化やブランディングを手がけてきた実績と経験が、福島の復興を支えている。「現在、中心となっているのは私と同世代の仲間たちです。なので、我々が全力で動けるのは長くても10年程度と考え、これからは次の世代へバトンを渡すための人材育成にも、力を入れていきたいと考えています。」と本田氏は語る。
多拠点活動の促進
福島も若者の流出に悩まされている地域のひとつだ。福島県の65歳以上の人の割合は、昭和55年には10%だったが、平成12年に20%、令和6年に33.8%と加速度的に増えている。また、15〜64歳人口に対する65歳以上人口の比率である老年人口指数も、令和6年に60.9ポイントとなった。昭和25年の8.0ポイントから、こちらも加速度的に増加している。老年人口指数は高齢化を示す指標として用いられているが、首都圏(東京都35.8、埼玉県44.6、千葉県46.0)と比較すると確かに著しい高齢化が見てとれる。その解決策として、本田さんは完全な移住ではなく、月の半分や3分の1を福島で過ごす「多拠点活動」の促進を提案している。これなら移住ほどハードルが高くないので多くの人に実践してもらいやすい。さらに、人が活発に移動することで地域も活性化しやすくなる。福島に限らず、地方都市への完全な移住・定住には、心理的・物理的な多くのハードルが伴う。元から住んでいる住民と馴染めるかといった問題はもちろん、仕事や住まいの確保といった現実的な課題も多い。しかし、福島を一つの拠点とする多拠点活動なら心理的なハードルも低く、ワーケーションなどの制度を利用して生活することも可能になる。本田さんは、多拠点活動の促進を通じて福島全体の交流の機会を少しずつ増やし、「元気になろう福島」を含めた次世代の人材育成も目指したいと考えている。震災から10年が過ぎ、人々の記憶の風化など、新たな課題も生まれている。しかし次世代へバトンをつなぐための取り組みはこれからも続いていく。