一般社団法人 葛力創造舎

―葛尾村から学ぶ復興の新たなカタチ
「一般社団法人 葛力創造舎」は、東日本大震災の翌年である2012年2月に設立された団体。創設者は葛尾村出身の下枝浩徳氏で、原発事故による被災地である福島県双葉郡葛尾村で活動を行う。この地域は震災前に約1,500人いた村民が、震災後に約300人まで激減し、存続が危ぶまれる状況にあった。同団体はさまざまなイベントを通じて県内外の人々と交流し、葛尾村の魅力を発信することで村の存続と発展に取り組んでいる。
ヒ ト 絆から生まれる人の輪

一般社団法人 葛力創造舎は東日本大震災の翌年の2012年2月に、葛尾村出身の下枝浩徳氏(以下、下枝氏)によって設立された。葛尾村は原発事故の避難対象地域だったこともあり、村の住人は、震災前の約1,500人から、震災後の現在(令和6年12月1日時点)、約300人にまで減っている。葛力創造舎はその原発事故被災地域を中心に活動している。通常、著しく人口減少をした地域は、持続が極めて困難だといわれるが、下枝氏は決して諦めない。葛尾村の住人が幸せに暮らすにはどうしたら良いかを真剣に考え、今なお残る人々の絆に気づく。葛尾村では道で会ったら挨拶するのは当然であり、困ったときも助け合いながら生活してきた。その生活は住民にとって、幸せを感じられるもの。その絆を深めるために、何かできないかと考え、葛尾村を持続するための第一歩として、人づくりを始めた。
葛尾村は、とにかく思いやりにあふれた村だ。自分のことより、おもてなしを優先する。
下枝氏らは、この素直で優しい人たちに寄り添っていきたいと考えた。そしてこれからも住民が幸せに暮らしていけるよう、人材育成に注力することを決意。次世代の葛尾村を築くべく、2017年より「葛力創造塾」を開講した。東京から講師を招き、リーダーシップを身につけるプログラムを実施している。また2019年には葛尾村内の民家を借り「ZICCA)(ジッカ)という最大20人が寝泊りできる宿泊施設を設立。元からあった良い面、住民が幸せを感じる絆に特化して、関係人口を増やしていく狙いだ。原発事故以来、人々の苦しみは今も続いている。持続するのは不可能ではないかと言われた葛尾村だが、これまでの絆、そして新しくできた絆を大切にすることで、次世代にも愛される村にするべく、数多くのイベントを通じて葛尾村のファンを着実に増やしてきた。

着眼点 葛尾村の魅力を活かした村づくり
葛尾村を訪れた人に魅力を発見してもらう
下枝氏は葛尾村の魅力を、訪問者に見つけてもらうことに目をつけた。いくら「私たちの村は良いところです」と当事者が発信しても、受け取る側が同じように感じてくれるとは限らないと語る。訪問者自らが「この村が好き」と愛着を持ってくれるようにしたい。葛尾村を好きになってもらうために考えたのが、「住民が幸せだと思うことを訪問者にも同じように感じてもらう」ということ。住民たちがそれぞれ大変ながらも幸せだと感じていたのが「米作り」だ。米作りは長年、葛尾村を支えてきた産業であり、人々の食生活には欠かせないもので、愛着と誇りを持ち、米を作っている。そこで米作りを訪問者との交流のきっかけとし、今では県内外から訪れた人に住民が米作りを教えることで、コミュニケーションを取る機会としている。あえて人数を多くせず少人数でコミュニケーションを取りながら米作りを行うことで、葛尾村の魅力を伝え、魅力を発信している。


葛尾村のファンを作る
葛尾村を訪れた人々と、仲良くなるため、米作りに参加した全員に自己紹介を通じて会話することを促した。お互いのことを知ると、自然と仲良くなりやすいためだ。そして、住民のお年寄りには「訪れる若者には、自分の孫のように接してもらえたら」と依頼した。住民は他人に愛情を持って接するが、ダメなことはダメと言うなど、過剰に相手を持ち上げたりはしない方々で、訪問者にも同様に接する。それが仮想家族の関係性へと発展し多くの「葛尾村ファン」を獲得した。2022年のコロナ渦の際は、大学がリモート授業になったため、葛尾村に長期滞在をして、住民や県内外者と交流しながら、農作業に汗を流した学生の姿もあった。また、住民と若者らで考案した新しい葛尾村の特産品も誕生した。田植えのイベントの中で収穫した米で作られた地酒「でれすけ」だ。でれすけは福島の方言で「ばかたれ」。酒宴の席では時々なかの良いモノ通しが「でれすけ」と言いあうことがあった。「でれすけ」という言葉はなかのいい証でもあるというエピソードが名前の由来になった。

連携 住民ファーストの心
震災直後は、葛尾村の住人の意見よりも行政が主体となって復興に向けて動いていた。しかし、ふとしたときに住民の意見がほとんど汲み取れていなかったことに気づく。そこで住民に「震災前の暮らしの中で、どんなことに幸せを感じていたか」という名目で住民全員に、ヒアリングを実施し、住民の話す「やってみたい」から始めた。葛尾村は誰かが困っていたら助ける、道で出会ったら知らない人でも挨拶をするという横の繋がりを大切にする地域で、その文化は、ずっと守っていきたいというのが住民の願いとのこと。その想いを無下にしないため、多くの人と出会い、繋がれるためにどうしたら良いかを考えた末、現在の活動に至る。
住民の幸せを最優先に考える
2016年6月12日、葛尾村の帰還困難区域以外の区域の避難指示が解除される。 そこから下枝氏の本格的な地域づくりが始まり、農業のコンテンツ化と村の特産品を使った商品の販売に精を出した。しかし、当初は住民の反応は良くなかった。「せっかく戻ってこられたのに、元の生活が壊されるのではないか」という想いがあったのだ。住民の理解を得るために下枝氏が心がけているのが「住民の幸せを最優先に考える」ということだ。何か商品を製作・リリースする際は、決して無理な大量生産はしないことや、売り上げ至上主義ではなく、目的はあくまでも葛尾村をこれからも存続させていくことを目的に、多くの人に葛尾村を知って好きになってもらうべく、住民と密に連携を取りながら商品をブラッシュアップしていく。


持続性 関係人口を増やし活気を取り戻す
葛尾村に移住したいという人を受け入れる体制は、まだ完全には整っていない。村をもっと賑やかにするためには、住人の意見が必要不可欠となる。どんな村にしたいのかという住民の意見を積極的に取り入れるべく、話し合いの場を積極的に設け、10年後には元のように人々が交流しあい、笑顔が絶えない葛尾村を取り戻していくべく、全力を注いでいく。
また、これからも、活気を取り戻すため、祭りのように、世代問わず楽しめるイベントも積極的に開催していく予定だ。目指すは「人と人とのつながりの上に成り立つ村」。かつてのように笑顔あふれる葛尾村を取り戻す。
関係人口の増加にも引き続き尽力
今後は宿泊施設「ZICCA」にも訪れる人を増やしていきたいと話す。移住民を受け入れるだけの準備(食・住)は十分ある。葛尾村を訪れた人に村のことをしっかり勉強して好きになってもらい、定住してくれる人を増やす狙いだ。今葛尾村に住んでいる人は、先住民は、他県からきた人に、とても暖かい。葛尾村の伝統・文化を受け継ぐために、世代から世代へと襷をつないでいく。
