缶詰のおいしさに衝撃受け石巻へ移り住み、翌年に被災
1957年に創業し、宮城県石巻市で水揚げされる魚介を使った缶詰やつくだ煮といった水産加工品を製造、販売する株式会社 木の屋石巻水産。創業以来の看板商品である缶詰の「鯨大和煮」は地元石巻や県内で親しまれている。
東日本大震災後に、木の屋石巻水産の名を全国に広めるきっかけをつくった1人でもある営業部課長の松友倫人氏が入社したのは2010年。転職先を探していた時に知人経由で木の屋石巻水産を知り、試しに缶詰を取り寄せ食べてみて、そのおいしさに衝撃を受けた。
「東京水産大学(現東京海洋大学)卒で学生時代から多くの水産加工品を味わってきましたが、その中でも断トツにおいしくて、なんだこれはと思って面接に行ったのが始まりです」と松友氏は語る。
採用が決まり、商品開発部に配属された。しかし、石巻に移り住み働き始めて8カ月後の2011年3月11日に東日本大震災が発生。急いで高台に避難し、2日後に壊滅的な被害を受けた工場の姿を目の当たりにする。一面のがれきの中、「鯨大和煮」の赤い缶詰を模した巨大な魚油タンクが横倒しになっている姿は、報道でもたびたび映し出された。
あぜんとするしかなかったが、「自分はまだ石巻に来て間もない、静岡県出身のよそ者で、長く住まれている地元の方の喪失感に比べればまだショックが軽い方だったと思います」と振り返る。当時、韓国から商談で来ていた企業の社長のアテンドを任されており、「まずはお客さんを無事に帰そう」と気持ちをそらすこともできた。
一方で、被災後すぐに避難生活を送っていた社員寮にあった食料はわずかで、支援物資もなかなか届かない。「生き延びることができるのだろうか」という不安も襲いかかる中、倉庫で津波をかぶり泥まみれになった大量の缶詰が見つかる。「見つけた瞬間に、これで飢え死にしなくて済むぞと。その不安がないだけで、どれだけ大きな希望になったか計り知れません」と、松友氏は話す。
泥まみれの缶詰でも中身は無事。泥を落として、自社の社員たちだけでなく避難所や自宅で避難生活を送る人たちにも配布し、地域住民の命をつないだ。
泥まみれの「希望の缶詰」が全国に支援の輪広げ、工場再建
避難所に入って生活の安全が確保され、支援物資も届くようになったが、松友氏は「このまま自分が石巻にいても支援物資を食いつぶしてしまう。仕事もすぐに再開できる状況ではないので、いったん離れた方が地域にとってはいい」と判断。同じく県外出身の先輩社員と共に石巻を出て、羽田で韓国の社長を無事に帰した後、東京都内で取引先などに無事を伝えて回った。
その中の取引先の一つが、サバ缶が好きなある飲食店の店主主導の基、サバ缶での町おこしを2007年から行っていた東京都世田谷区経堂の商店街であった。木の屋石巻水産の「金華さば」の缶詰などを使ったメニューを約10店舗で展開しており、被災直後から心配してくれていた。状況を伝える中で泥まみれの缶詰について話すと、ある飲食店が「中身が無事ならば欲しい」と申し出る。
それならばと、東京都内から石巻に支援物資を運んだ帰りに、空になった荷台に缶詰を積み経堂へ届けた。商品として販売はできないため、義援金のお礼として商店街で配布。その義援金を新たな支援物資の購入代や車のレンタル代、ガソリン代に充て、石巻と経堂の往復を繰り返した。
その様子がテレビで取り上げられたことをきっかけに、泥まみれの缶詰は「希望の缶詰」として全国から脚光を浴びる。石巻には缶詰を拾い集めて洗浄するボランティアが増え、経堂には寄付する人が押し寄せ、被災前に倉庫にあった100万缶のうち24万缶ほどが義援金に換わった。
それらを原資に被災後も社員の雇用を続け、2013年には経済産業省のグループ補助金も活用して2つの新工場が完成。石巻本社工場では原料の1次処理や加工を、美里町工場では商品の製造を行っており、現在はサバの缶詰やコウナゴのつくだ煮など50種類以上の商品を製造している。また、美里町工場には直売所が併設され、春先やお盆前、年末といった季節の節目に、大規模な直売会「木の屋祭り」などのイベントを開催している。
商品作りに必要なレシピも津波で流されてしまったが、既存の商品を一つずつ復活させていくと、「希望の缶詰」の認知度から小売店での取り扱いも広がり、2015年9月には売上高が東日本大震災発生以前の水準まで回復した。
次の目標は、東日本大震災前よりも売り上げを伸ばすこと。その達成には、魚食や缶詰になじみの薄い若年層の取り込みが必要だと考え、復興庁の復興・創成インターンシップ事業で「M1層」「F1層」(20〜34歳の男女)に「刺さる」マーケティング手法をリサーチ。その結果、テレビやネットで不特定多数に向けた広告を流すよりも、SNSの趣味用アカウントに届くよう情報発信する方が若年層には効果があるのではないかという仮説にたどり着く。
「どのようなユーザーに、何を経由した情報発信を行うのがより効果的なのか」を調査、検証した上で学生たちと築いたマーケティングプランを基に、2021年にホヤの販促に関する補助金を活用し、複数の配信者とコラボしてホヤの缶詰のプロモーションを行った。その結果、もっとも大きく当たったのが「いぎなり東北産」とのコラボだった。
インターンの学生たちがマーケティング重ねアイドルとのコラボで若年層開拓
「いぎなり東北産」とのコラボ動画を配信した直後からYouTube経由でネットショップへのアクセスが急増し、実際の購買率を示すCVR(コンバージョン率)も、ECサイトの平均が2〜3%といわれる中、8.5%と高い数値をたたき出した。
さらに翌日からファンが直売所を訪れ、工場や缶詰の写真、味の感想を、グループやメンバーを応援するSNSのアカウントで発信。ファンが商品を広めてくれる理想的な状況が生まれた。
このコラボ動画以降、「いぎなり東北産」の公式YouTubeチャンネルの動画に、木の屋石巻水産がたびたび登場するようになる。それ以外にも、メンバーが個人的に商品を購入し、SNSにそのことをアップすることで、「いぎなり東北産」のファンの間での認知度はぐんぐん上がっていった。
「大きく当たったのはたまたまではなくて、やっていたことが実ったという感覚です。熱量と行動力があるファンが多い「いぎなり東北産」に出会えたのは、学生たちが代わる代わる2年かけてリサーチと考察を積み上げてくれたおかげです」と松友氏。
「一度きりのコラボではなく、持続的な関係性を持つという姿勢を示したい」と、「いぎなり東北産」がパーソナリティーを務める地元FM番組のスポンサーになった。すると、「いぎなり東北産」のファンから、同じくスポンサー企業の株式会社advance growingが展開する飲食店とのコラボレーションを望む声が届き、2022年につけ麺屋「つけ麺おんのじ」でコラボメニューが提供されるという思わぬ展開も生まれる。2023年にはadvance growingが経営するラーメン店「らーめん おっぺしゃん」ともコラボメニューを開発し、2社の連携は今も続いている。
それだけにとどまらず、「いぎなり東北産」が所属する株式会社スターダストプロモーション、イベント制作会社の株式会社エドワードライヴエンターテインメントの協力の下、ライブ会場で、メンバーそれぞれの顔写真がプリントされたオリジナルラベルの缶詰9種類を、オリジナルのランチョンマットの特典付きで販売した。
「よそ者」視点で鯨食発信し、水産にこだわらず新商品開発
看板商品である「鯨大和煮」の訴求につなげるべく、鯨食を広める活動にも力を入れている。かつて一大捕鯨基地として栄えた鮎川浜があり「鯨の町」として知られる石巻だが、外向けのアピールが不十分と感じていたのだ。
地元では居酒屋でも当たり前に鯨のメニューが提供されているにもかかわらず、外の人がどこで食べられるのか検索しても何年も前の情報しか出てこないという点に着目した松友氏は、自社で「石巻くじら料理マップ」を作りウェブサイトで公開した。直接収益につながるわけではないが、食べに来てもらい、鯨がおいしいと思ってもらえれば、ゆくゆくは自社商品の缶詰の購買につながると先行投資を惜しまない。
また、新商品開発では水産にこだわらずさまざまな素材を試し、中でも「牛たんデミグラスソース煮込み」はヒット商品になった。資源不足や海洋環境の変化による水揚げ量の減少、原油高など水産業を取り巻く環境が厳しさを増す中、早めに魚だけに頼らない商品をそろえることも大きな課題。積極的に新商品の開発を進め、2023年には50種類以上の缶詰やつくだ煮、鯨加工品を取り扱っている。
新商品の開発に力を入れることは企業理念の一つでもあり、社員の提案や外部からのコラボレーションの依頼にも「やってみよう」という姿勢で軽やかに臨んでいる。新工場に直売所ができたことで、テストマーケティングもしやすくなった。
若い社員の定着も課題だ。毎年1、2人程度の採用で同期が少なく、地域にゆかりのない新卒社員が孤独感を抱かないように、同じような規模の採用を行う他社と連携し、地域の中で同期のコミュニティーをつくる取り組みを始めた。「地域の魅力を見つけたり発信したりするには県外から来た人の目も必要ですので、そうした若い人材、東北以外からの人材の離職防止につながれば」と松友氏は話す。
被災による喪失感が少ない「よそ者」だったからこそ、東日本大震災後に素早くアクションを起こし、東京都内と被災地をつないで再建につなげることができた。そんな自身の経験を踏まえ、消費動向の変化や資源不足、またいつ起きるか分からない災害を乗り越えて持続していける会社にしていくため、地元採用に限定せず、「よそ者」の定着を図る。
問い合わせ先
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企業・団体名
株式会社 木の屋石巻水産
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代表者
木村優哉氏[代表取締役]
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所在地
宮城県遠田郡美里町二郷字南八丁2-2(美里町工場)
宮城県石巻市魚町1-11-4(石巻本社工場) - WEB