三陸の魚を全国に届けたい――。突き当たった「魚介ならではの課題」
静岡県出身の八木健一郎氏は北里大学水産学部(現・海洋生命科学部)への進学をきっかけに、岩手県大船渡市三陸町で大学生活を送った。卒業後、三陸の漁業現場を消費者の視点で見つめた時、「三陸には質の高い魚介がたくさんあるのに、どうして正当な価格で売れないんだろう」と疑問を抱いたという。そこで、三陸の魚介をより多くの人に知ってもらうため、2004年に有限会社三陸とれたて市場を設立した。
「魚介の産地としての認知度が低いのではないか」と仮説を立てた八木氏。「私が三陸に来て感動した景色を共有すれば、魚を買いたくなるのでは」という思いから、漁船にカメラを積み、漁の様子をライブ配信した。通信会社に勤めていた父親の影響で通信機器に精通していた八木氏は、機材やソフトは自分で作ったという。こうした取り組みが成果を上げ、三陸の認知度向上につながった。
一方で、課題も見つかった。「ライブ映像を見て買ったものの、どう食べていいか分からない」「魚を調理した後の生ごみの処理が面倒」――こうした魚介ならではの特性が、売り上げが伸び悩む要因になっていると気付いたのだった。
「新鮮な魚を産地から直送するという本来ポジティブなものが、受け取った側ではネガティブなものになることもあるんだと気付いたんです。その構造を改善しなければ消費者はついてこないと思いました」(八木氏)
そんな課題と向き合っていた中で2011年3月、東日本大震災が発生した。港は壊滅状態となり、三陸とれたて市場でも生産設備が全て流失する被害を受けた。そうした状況下で、知人のある言葉が八木氏を動かした。
「被災した街を見て、日常はこんなにもろかったのかと考えました。そんな中、知人の漁業者が網を海に仕掛けたところ、大量の魚が取れたそうなんです。『早く商売を始めろ。魚が呼んでいるぞ』と知人からハッパをかけられたことで、このままではいけないと感じ、被災から1カ月後には事業を再開しました」と八木氏は振り返る。
再開後に始めた「三陸復興おまかせ特別便」では、その日取れた魚を詰めて届けた。すると被災地を応援したい全国の人たちから注文が殺到し、水揚げしてすぐに成約する状況が続いたという。
東日本大震災を機に冷凍に着目。解凍後も魚介の鮮度をキープ
被災したことで、予測不能な事態にも対応できる、持続可能な事業構築の必要性を感じていた。そんな中ある生産者から、冷凍の取り扱いを勧められた。魚介の鮮度を落とさない冷凍技術を探したところ、「CAS(CELLS ALIVE SYSTEM)」に出合う。CASとは、冷凍庫内に磁場を発生させて水分子を細かく振動させることで、冷凍による組織破壊を防ぎ、解凍後も鮮度を維持できる凍結技術だ。以前より「せっかく買った魚介がすぐに傷んでしまう」「さばいた後の処理が大変」といった課題を感じていたこともあり、CAS技術搭載の凍結機を導入した。
導入後、さっそく課題に突き当たった。「最初は単に『新鮮なものを冷凍すればいい』と思っていたのですが、重要なのは『解凍した時に理想の品質が生まれるよう冷凍する』ということ。両者はアプローチが全く異なるんです」と八木氏は語る。解凍後も高鮮度を維持できるよう、凍結による素材への影響や、解凍した時の傾向を観察し、科学的なアプローチで検証した。
試行錯誤の末、魚種ごとに異なる筋肉特性などが解凍品質に大きな影響を与えることが判明した。そこで、それぞれの魚に適した水揚げ方法や原料の保管条件、下処理方法の開発など、凍結前のフローから見直した結果、鮮度を最大限維持する新たな冷凍手順にたどり着いた。
納得のいく冷凍手順にはたどり着いた。だが、これはスタート地点に過ぎなかった。新鮮さが売りの三陸の魚介を、あえて冷凍状態で買うメリットを顧客に伝える必要があった。
「『冷凍した魚は解凍が面倒』と思われて手に取ってもらうのはなかなか難しい。ですが、三陸の魚介をより多くの人に食べていただくためにも、この取り組みを止めるわけにはいきませんでした」と話す。
商品の開発は、苦労の連続だった。一時期は漁師料理の総菜を冷凍食品として売り出したが、鳴かず飛ばずだったという。現在の看板商品である「CAS刺身個食パック」にたどり着いたのは約8年後の2019年。1人前50gの刺身を小分けパックに入れられており、流水に当てれば数分で解凍できる。解凍や処理の手間なく、おいしい魚介が提供できることから、顧客に冷凍ならではの価値を提供できると確信したという。
「CAS刺身個食パック」をリリースしたのは、新型コロナウイルス感染症が拡大し始めた2020年2月。外出自粛などで食品業界向けの展示会などが中止となり、認知拡大は絶望的な状況に思われた。ただ数カ月後、本格的なコロナ禍で飲食業界が苦境に陥ったことで、フードロスを減らせる点や、安定して高品質の食材を確保できる点から一躍脚光を浴びるように。2022年には、累計20万パックを超える売り上げを達成した。
生産者と連携し、仕入れ・漁獲の段階から改善を図る
安定して高品質の商品を提供するためには、そもそも新鮮な魚介を漁獲する漁業者との連携強化が欠かせない。そこで2012年、八木氏は漁業者10人と共に、三陸漁業生産組合を設立した。組合員らとは、市場で流通していない魚種を利用した商品の開発や品質向上から漁具の調達まで一体して進めており、「CAS刺身個食パック」の多様性・競争力のさらなる確保に努めている。
「魚市場で取り扱われないものの、風味豊かで繊細な魚介を、チームプレーで漁獲・輸送・凍結することで、付加価値を高めて商品化。これらは魚介を正当な価格で仕入れることにもつながるので、組合員である漁業者とも良好な関係を築けていますね」と八木氏は語る。
漁業者から仕入れるだけでなく、魚介を取る段階から共に取り組んでいる。「製造設備だけが高度化しても意味がない。漁獲から水揚げまでの工程も高度化する必要がある」と八木氏。例えば、漁を効率化する漁船の装備を導入するため、補助金を得るための書類作成や申請も八木氏が行う。またネット通販の知見を組合員に共有し、販路の拡大にも貢献している。
自社だけでなく、漁業者のサポートも積極的に行うことで、より高い品質の魚介の仕入れにつながり、結果として商品の品質向上を実現している。
近年では、海外への販路拡大にも力を入れている。元々熟練した従業員の目利きや経験値で魚介の品質管理を行っていたが、マニュアルなどで客観的な基準を作成中だ。属人化していた目利きが言語化できれば、欧州などの輸出基準もクリアしやすくなり、バイヤーなどとのやりとりがスムーズになる。現在はEUマーケットやドバイなどへの展開に向けた準備を行っている。
限られた海の資源をあまねく活用。市場に出回らない魚が高級魚に
鮮魚は水揚げされた瞬間から品質が落ちていくため、短期間で大量に流通させざるを得ない。一方で冷凍商材は「時間」を止めて鮮度を維持できる分、必要な時に必要な分だけ流通させられるメリットがある。
さらに、取れた魚介を無駄なく流通させるため、サイズの不ぞろい等の理由で流通されない「未利用魚」や、市場価値が低い「低利用魚」など、市場に出回らない魚の活用を始めた。こうした魚は混獲(こんかく)(漁業の際に意図せず漁獲されること)された際、ほとんど廃棄されている。「海の資源が限られている中、漁獲できたものの価値をいかに最大化するかが重要です。そのために、凍結技術を活用すれば、魚介の価値を高められるのではと考えました」と八木氏は話す。
CAS技術で冷凍した魚介は、流水に当てて数分で解凍でき、生ごみなどは発生しない。その気軽さから、認知度が低かったり、珍しかったりする未利用魚・低利用魚にも手を伸ばしやすくなると考えたのだ。そこで、従来は廃棄されていたホシエイの肝を商品化したところ、フォアグラのような濃厚ながら口当たりのいい脂が評判に。高級日本料理店の板前からも引き合いがあった。また近年動物愛護の観点から批判されることもあるフォアグラとは異なり、持続可能性があり、資源を無駄なく活用できるという側面でも好意的に受け入れられているという。
「二束三文どころか、廃棄されていた素材が、丁寧な下処理と新たな凍結技術によって高級食材にも生まれ変わる。ホシエイの肝が好評だったことで、次の原石を探し当てるのが楽しみになりました。今は市場の花形であるマグロには目もくれず、見向きもされないような魚種を買い付けていくので、市場関係者の間ではいぶかしげに見られていますね」と話す八木氏。資源枯渇が懸念される時代、魚介のおいしさと新鮮さを維持し、必要最低限の量を最大価値化して世界に売る三陸とれたて市場の事業スタイルは、これからの水産業に欠かせないものになるだろう。
問い合わせ先
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企業・団体名
有限会社 三陸とれたて市場
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代表者
八木健一郎氏[代表取締役]
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所在地
岩手県大船渡市三陸町越喜来字杉下75-8
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