障害者が手がける裂き織りの美しさに衝撃を受け事業化を決意
岩手県盛岡市の住宅リフォーム会社に勤め、高齢者や障害者が暮らしやすいバリアフリーの住環境を提案していた石頭悦氏。福祉用具の展示会の運営に関わった際に、車いす生活を送りながらも精力的に活動している人たちの姿を目にする。
「自分たちが守ってあげなくちゃとか、優しくしないといけないとか、障害者の方に対して健常者の私たちは、どこか上から目線で勝手にそう思い込んでいますよね。実際には皆さん活動的で、自分たちと何も違いはないということを改めて知って、目からうろこが落ちました」
さらに、仕事の視察で特別支援学校の見学に訪れた際、生徒たちが集中して規則的な動作を繰り返し、裂き織りを織り上げている姿と、その裂き織りの美しさに「また目からうろこが何枚も落ちました」と振り返る。
裂き織りとは縦糸に木綿や絹、麻などの一般的な糸を用い、横糸に使い古した布をひも状に裂いたものを使う織りのこと。東北に起源があるとされ、盛岡をはじめとした岩手県など複数の地域で伝承されている。石頭氏は改めて地元で作られている裂き織りを意識して手に取るようになり、その上で、やはり生徒たちの織りが緻密できれいだと実感したという。
「こんな素晴らしい作品を、いろいろな人に知ってもらえないなんてもったいない」。そう考えた石頭氏は、生徒が手がけたトートバッグを持ち歩き、それらのエピソードも含めて、一人広報大使のようにPRして歩いた。その話を聞いた人から「事業化したらいいのではないか」と提案されて検討を始め、数年かけて開業資金を用意する必要があるため、思案していたところ、盛岡市の緊急雇用創出事業があることを知る。補助申請が通り、2010年には所属していたリフォーム会社の一部門として、裂き織り製品の製造事業の立ち上げに至った。
しかし、翌年に東日本大震災が発生。翌日の3月12日、会社には社長と石頭氏の他に、裂き織り部門で採用していた障害のあるスタッフが駆け付けた。「会社が心配で家にいられなかったと話していて、仕事に対する思いを強く感じました」と石頭氏は語る。
さんさ踊りの鮮やかな衣装を裂き織りにして若い世代にも普及
東日本大震災の影響でリフォーム会社は経営が一時不安定となり、裂き織り事業部は閉鎖が決まるが、「駆け付けてくれたスタッフのことを思うと、その思いを無駄にはできないと感じました。生き生きと裂き織りを作るスタッフのみんなの働く場所を無くしてはいけない」と、石頭氏は事業を継承する形で独立を申し出る。
不安は無かった、というよりも「やるっきゃないという気持ちでした」と石頭氏。盛岡市のインキュベーションセンターで起業支援の担当者から言われた「やっぱり駄目だとなったら、謝ればいい」という言葉が背中を押した。「部門が閉鎖したからごめんねと今謝るのではなく、右往左往しながらでもやってみて、それでもお手上げだとなった時が謝る時だ」と覚悟を決めた。
2011年9月、株式会社幸呼来(さっこら)Japanを設立。石頭氏の他に社員1人と、裂き織りの製造担当で、精神、知的などの障害のあるパートタイムのスタッフ2人で、取り壊し寸前だった物件での旗揚げ。引き続き市の補助金は得られたが、小売店で販売する商品をほそぼそと製造するところからのスタートだった。
「さっこら」は、「盛岡さんさ踊り」のかけ声「サッコラー、チョイワヤッセ」に由来する言葉。「“幸”せは“呼”ぶとやって“来”る」という意味がある。社名にするほど石頭氏が根っからのさんさ踊り好きだっただけでなく、同社とさんさ踊りには重要な関係性がある。
実は、リフォーム会社で裂き織り製品の製造事業部門を立ち上げた際、裂き織りの品質に自信は持っていたが、他社製品と差別化し、若い世代にも興味を持ってもらうには何か工夫が必要だと考えていた。そんな時、さんさ踊りの踊り手らが身にまとうカラフルな浴衣を見て、石頭氏は「この浴衣を、裂き織りの横糸に再利用しよう」とひらめく。そして、さんさ踊りで使い古した浴衣を譲り受け、その鮮やかな色彩で若者の目を引く裂き織り製品を作ろうと考えた。また、そうすることにより、捨てられてしまう浴衣を有効活用できるとも考えた。
リフォーム会社で加盟していた盛岡商工会議所の中にある盛岡さんさ踊り実行委員会を頼ると、「古い浴衣の再利用ができる、すごくいいことだから協力しますよと言っていただけました」と石頭氏は語る。あの鮮やかな浴衣が、障害のあるスタッフの正確で緻密な作業を通して、ポーチや名刺入れといった唯一無二の美しい裂き織り製品に生まれ変わる。「これは絶対に評価される」と、その頃から確信していた。
事業や製品の価値を認める協力者や企業と連携し、コラボ展開
現在では、BtoBが売り上げの大部分を占める幸呼来Japan。最初に企業から依頼を受けたのは、ホテルメトロポリタン盛岡の改修工事に携わったデザイン会社から。裂き織りのインテリアパネルの依頼だった。今も同ホテル本館の4階に飾ってある。
取引のきっかけになったのはホームページだった。事業に共感した盛岡在住のグラフィックデザイナー、ビー・アイ・ディ藤村巧氏が「ホームページだけはあった方がいい」と用意してくれていた。裂き織りをイメージした会社ロゴも藤村氏が手がけたもので、「本当にいろいろと応援してくれました」と石頭氏は感謝する。
次に大きな転機となったのが、兵庫県神戸市に本社を置くファッションや生活雑貨の大手通信販売会社との取引。2012年2月の東京インターナショナル・ギフト・ショーに設けられた震災復興支援ブースに出展すると、ちょうど裂き織りの商品を展開しようとビジネスパートナーを探していたその会社が幸呼来Japanの鮮やかな商品に目を留め、声をかけた。
これまでのような一点物の納品や作った分だけの販売とは異なり、大量の製品を安定的に供給する体制が求められた。しかし、当初から石頭氏は就労継続支援事業所を開く準備を進めており、2012年4月に、通常の事務所での雇用は困難だが、雇用契約に基づく就労は可能な障害者の就労支援を行う、A型事業所の認可が下りたことで発注に応えられる体制が整った。2014年には、雇用契約に基づいた就労も困難な障害者の支援も行うために、B型事業所も開設した。
「最初は私の見通しが甘くて、障害のある方にあまり負担をかけることもできず、納期を延ばしていただくなどご迷惑をおかけしました。それでも相手先企業さんは、一つ一つ手作りしているのでお手元に渡るまで少し時間がかかりますと、お客さまに納得していただけるようなフォローをしてくださって、ありがたかったです」と語る。
その後もホームページや展示会を通して県外の企業からの引き合いも増え、「オニツカタイガー」「KUON」など、国内の大手ブランドとのコラボレーションを次々に展開していく。
障害の有無に関わらず、個性を生かし活躍できる共生社会に
企業からの引き合いが増えている背景の一つには、製品制作後に残った布や衣料の廃棄問題がある。それらを有効活用できる裂き織りはSDGsの観点からも注目を集めており、中でも量産体制が整い、一定の数量を安定的に生産できる幸呼来Japanは希少な存在だ。
もちろん、クオリティーの高さも認められている。石頭氏は、「今まで見た裂き織りとは全く別物だと評価していただけています。そう言ってもらえるのはうれしいですし、そう言わせるみんなの力が本当にすごい」と感服する。
そんな織り手の個性を生かし、自由に織った一点物の商品をアート作品のように展開するプレミアムライン「Signature」も展開。現在は受注生産で手いっぱいのためストップしているが、「これは今後が本当に楽しみで、織り手と織り機を増やして進めたいです」と、石頭氏ははやる気持ちを抑え切れずにいる。
織り手だけでなく、それぞれの工程を担当する人に責任を持って、やりがいを感じて働いてもらうために、石頭氏は「私たちは『チーム幸呼来』だよ」と繰り返し伝えている。「どの仕事も一つ一つ大事で、みんなが一生懸命に手を抜かないで仕事をするからすてきな商品ができて、お客さんがそれに感動して買ってくださるんだよと話しています」
裂き織りを後世に伝えていく役割は十分に果たしている幸呼来Japan。もう一つの役割に、障害者に対する心のバリアーをなくすことを掲げており、その取り組みの一つとして、障害のあるスタッフが先生となる子ども向けの裂き織りのワークショップを、2021年に初めて開催した。
「障害の有無が関係ない場の雰囲気で、教える側は自分が誰かにレクチャーできたことに自信を持ち、教わる側は先生から丁寧に教えてもらえたと喜んでいました。子どもの頃からそういう機会があれば、自然と見方は変わっていくはずです」
さんさ踊りのカラフルな浴衣が横糸となって裂き織りを彩るように、障害のある人もない人も、それぞれの個性が織り込まれてこそ彩り豊かな共生社会が実現する。
問い合わせ先
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企業・団体名
株式会社 幸呼来Japan
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代表者
石頭悦氏[代表取締役]
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所在地
岩手県盛岡市安倍館町19-41
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