平成31年2月24日(日)から25日(月)に、南三陸ホテル観洋(宮城県南三陸町)にて、「第2回東北被災地語り部フォーラム2019」を開催しました。
当日は開会前に「震災を風化させないための語り部バス」を4台の大型バスで運行し、約160名が乗車しました。震災遺構である高野会館の内部見学では、津波の脅威だけでなく、たくさんの命を守った現場そのものを感じました。その場に足を運んだからこそ分かる様々な実感は、次の防災・減災の意識向上にも活かされるものと思います。
開会セレモニーに続き、オープニングプレゼンとして地元の小学生2人(佐藤光莉氏、佐藤ひま里氏)が、「未来へ伝える」、「未来の命を守る」というテーマで発表を行いました。次世代に"第二の語り部"として伝えていく思いは、会場の参加者全員に伝わったと思われます。
続くパネルディスカッションでは『あの日から10年・100年・1000年先の未来へ「みんなが語り部」~今、何に気付き、何を伝えるか~』というテーマで行われました。みんなが語り部になるためにはという視点で6名の登壇者から活発な意見、提言が出されました。
★コメンテーター・結城登美雄氏(民俗研究家)
★コーディネーター・高野 登氏(人とホスピタリティ研究所代表)
★パネラー 野村 勝氏(人と未来防災センター・語り部)、
二橋 守氏(三陸鉄道株式会社旅客営業課長)、
山内明美氏(宮城教育大学准教授)、
後藤一磨氏(南三陸復興みなさん会代表)
各パネラーからは復興のシンボルとしての役割と責任、学びの大切さ、活動の中での風化への危機感、日ごろからの備えの大切さ、積み重ねなどそれぞれの立場から具体的な提言があり、さらに、語り部(伝える側)と聴き部(聞き手側)のどちらも重要という共有すべき関係性の構築についてもコメントがありました。また、語り部が伝えるべきものは災害そのものや自身の経験だけでないということや、語り部自身が"何に気付き何を伝えるべきか"と自問すべきこと、語り部を続けていかなければ存続自体が困難になっていく危機感があることが、会場内でも共通認識になったことは大きな成果となりました。語り部(伝える側)と聴き部(聞き手側)のどちらも人選し、様々な視点からディスカッションを行いました。災害伝承だけでなく、復興や町づくり、地域づくり、伝統や文化を繋ぐことの大切さに繋がり、そのことは被災地、未災地に関係なくどの地域にも元々存在している中、災害を通じて学び、得た経験や学びは本来東北で暮らす人々にとって大切に守り伝え続けていくべきものとして日々の暮らしに通じていることも改めて提言されました。その他、第1回目の全国被災地語り部シンポジウムin東北から繋がってきた参加者同士のネットワークの構築、形成は今回のフォーラム開催においてもより強くなっていることを感じました。今後の課題解決や、問題解決に向き合っていく毎日の中だからこそ、今後における語り部の役割と責任をもう一度整理、共有し、多くの方々と繋がり合う中で生まれる復興への取り組みや地域創生への架け橋になる場として、継続的なフォーラムの開催が必要との共通認識も高まり、語り部自身の自己研鑽とレベルアップを感じたパネルディスカッションは次回のシンポジウムへの継続性を投げかける機会にもなりました。
パネルディスカッション終了後、全国被災地語り部シンポジウム開催報告(第4回熊本開催)が山地久美子氏(大阪府立大学客員研究員)からありました。第1回目のシンポジウムを立ち上げた経緯から、会を重ねるたびに生まれてきた提言や語り部同士の連携の拡がり、今後活動を継続させる中でのマンパワーだけでなく、維持していくための原資をどうすべきかなどの提案も改めて紹介されました。第4回の熊本のシンポジウムを開催したことにより全国に語り部のネットワークを作るだけでなく、国際化の流れに対してもどう対応していくか考える中で、「KATARIBE」という言葉を拡げていく努力も継続した課題になります。今回の東北被災地語り部フォーラムで話し合われた内容も次回の第5回全国被災地語り部シンポジウムにも繋げて課題解決や各地域への防災・減災の取り組みにも継続して活かされていくことが確認されました
その後、3分科会に分かれてそれぞれのテーマで議論が深められました。各分科会と座談会の講師は以下の方々となります。
【分科会①震災遺構の保存と役割を考える】
山内宏泰氏(気仙沼市・気仙沼リアスアーク美術館副館長)第1分科会では、震災遺構は定義を決めつけずにそれぞれが防災・減災学習の場、祈りの場、観光による地域資源の掘り起こしや地域活性化の役割を持ち、それを活かしていくことが大切なことであり次に繋がっていくことが共有されました。
【分科会②災害を知る世代から災害を知らない世代へつなぐ】
菅原貞芳氏(3.11震災語り部/元志津川中学校校長)★事例発表者 宮城県志津川高等学校・気仙沼市立階上中学校・宮城県多賀城高等学校の皆様
第2分科会では、地元の各学校の代表からそれぞれの防災・減災活動の取組の発表だけでなく、日頃からどんな気持ちで取り組んでいるかや、将来どうしていきたいかという目標部分まで積極的な発言もディスカッションの中で生まれました。次世代、次々世代に伝えて行くための今後の語り部活動の在り方が、大人ではなく参加した若い世代から主体的な意見が出たことは大きな意義がありました。具体的に消防士や看護師を目指すといった自身の将来の目標にも繋がる活動は今後もっと学校現場でも作っていけるのではないかと思います。
【分科会③「KATARIBE」を世界へ】
白井 純氏(東芝国際交流財団理事)第3分科会では、日本だけでなくグローバル化や国際交流も活発化する中で、世界共通語として「KATARIBE」という言葉が認識されるようになれば、その言葉がきっかけになり、災害だけなく、その文化を学ぶための交流が東北沿岸部の地でさらに進んで行くための具体的方策も議論が交わされた機会となりました。
参加者も想定を上回る人数が来場し、さらに日本人だけでなく今回も多国籍な構成となり、イラン、キューバ、ドイツ、ウズベキスタン、アメリカ、ハンガリー、スペイン、中国、台湾、インドネシアなど多くの海外の方にご参加いただきました。北は北海道、南は熊本からの遠方よりご参加いただいた方々だけでなく、今回は地元の南三陸町や気仙沼市の方々の参加も非常に多かったことが印象的でありました。時間の経過とともにあらゆる風化が進むことを止められない中で、語り部の存在意義や伝える力が問われ続けています。それだけでなく10年後はどんな気持ちになっているか考えたときに先例を学ぶことの大切さを知り、被災地同士の連携も必要性が認識され、意識向上のための会がこのフォーラムや、語り部シンポジウムとして今後継続されていくことが必要という共通の声が非常に多く聞かれました。
分科会後に交流会を行い、その後に語り部座談会を開催しました。交流・親睦を深めたプログラムとなりました。
【座談会】 山崎麻里子氏(公益社団法人中越防災安全推進機構
中越メモリアル回廊 アンバサダー)
会津 泉氏(東京都・多摩大学情報社会学研究所 主任研究員)
宮崎光男氏(群馬県嬬恋村・鎌原観音堂奉仕会)
吉田千春氏(気仙沼市・気仙沼おとひめ会代表)
北村弘子氏(釜石あの日あの時甚句つたえ隊)