食で被災地に「にぎわい」をつくるのが私の使命
当時は仙台市内の設計事務所に勤めていて、震災担当に任命されました。スタッフの安否確認から始まり、被害を受けた施設から連絡を受けて現地に赴き、救援物資をお届けしながら状況を確認し、建物を調査して改修工事のための図面に落とし込むなど、バタバタとして忙しかったです。
その中で、私が設計を担当した「女川温泉ゆぽっぽ」という温泉施設がある女川町に行った時には、町の変わり果てた姿に大きなショックを受けました。これは何とかしないといけないと思ったことが、その後ワイナリーを立ち上げ、被災した地域を食で応援する「テロワージュ」の構想にもつながっていきます。
もう一つのきっかけは、復興会議に参加し、被災した農家の方や漁師さんにお会いして苦労話をお聞きしたことです。やっと農業や漁を再開したのに、風評被害で売れなかったり、安く買いたたかれたり、被災後に取引先が別の産地から仕入れていて戻せないということもあったそうです。
そんな生産者さんたちを応援したいという思いがありましたが、「復興支援」とは言わないようにしています。それは生産者さんたち自身が、東日本大震災で大変だから応援してほしいというのではなく、自分たちがいいものを作っているので、それを見てほしいと考えているからです。そういう熱い思いを持つ人たちがたくさんいて、私も元気をもらっていましたし、私がやれることで何かを応援したい気持ちが強くなっていきました。
――毛利さん自身がワイナリー立ち上げに至ったのはなぜでしょうか。復興会議では被災自治体が復興計画をつくる上でアイデアを求められ、いろいろな提案を行いました。設計事務所ですのでもちろんハードの提案もしましたが、そうした事業に関しては国が主導で進めていくので、なかなかわれわれの入る余地はありませんでした。
私が個人的にまちづくりのNPOに参加していたこともあって、ハードよりも、いろんな事情で被災後に町を離れた人たちがまた戻りたいと思えるようなまちづくりをする必要があると考え、にぎわいを創出するような提案をいろいろとつくりました。
その一つが、宮城県のワイン産業を復活させることでした。東日本大震災前、県内に唯一あった山元町でワイナリーを復活させて、ワインと食のマリアージュを通して生産者を応援。さらに、担い手を育成して県内にワイナリーを増やしてワインツーリズムを展開するというプランです。
海外のワイン産地ではさまざまな産業と連携してツーリズムを行っており、世界中からお客さんを呼んでいて、訪れた観光客はその土地の食やお酒を楽しんでいます。復活させるだけでなくそこまで目指そうと、いくつかの被災自治体に提案書をお渡ししました。
皆さん反応はいいんですけど、宮城県の当時のブドウ生産量は全国44位。ブドウ農家は不在となりワインを造る人もいません。自治体としても、元々あった農業や産業を再生させることが優先で、新しい産業を興す余裕もありませんでした。しかし、日本ワインのブームが起きつつあり、国内でワイナリーも増えてきている中で、絶対に復興につながるという確信めいた思いが私にはあって、自分でやってみようと決断しました。
沿岸部での計画頓挫 妻の後押しで葛藤乗り越え回り出した歯車
津波をかぶった山元町の土地で、がれきを撤去して小さな畑を作り、2013年に試験的にブドウを植え始めました。その苗は、山形の苗木屋さんに相談に行った際に「見つくろって送るから頑張れ」と無償で頂いたものです。
しかし、国の圃場(ほじょう)整備が入るので勝手に植えるなとお叱りを受けたり、津波で多くの命が失われた場所に集客施設を造ろうとすることへの強い反対があったり、ブドウ自体も塩害で特にヨーロッパ品種は難しいような状況もあって、山元町でのワイナリー設立を断念しました。
山元町からは撤退しましたが、よく考えたらワイナリーはどこにあってもいいし、どこでもいろんなところと連携はできる。そう思って沿岸部以外でブドウを育てる農地を探そうとする一方で、実はその頃は精神的にかなり疲れ切っていて、もうやめようかと葛藤していました。それで、一度妻に相談したんです。
東日本大震災で被害を受けた建物の改修や再建で設計の仕事が忙しく、たまの休みはブドウの様子を見に行っていました。そのたびに妻は「今日も行くの?」と。娘が小学校に上がった頃で、どこかに連れていってあげてよと言われていました。
家で仕事の話はほとんどしないんですけど、ちょっとしんどいんだと愚痴をこぼしたら、私が元気の無い様子を見ていたのか、いつも文句を言っていた妻が「そこまでやったなら納得いくまでやりなさいよ」と言ってくれました。私よりはるかに腰が据わっていて、背中を押してもらったんです。沿岸部で植えようと思って頼んであった1,200本の苗をキャンセルしようと考えていたのですが、新たな土地に植えようと決めました。
――紆余曲折あって、ついに秋保ワイナリーがオープンするまでの経緯を教えてください。内陸で土地勘のある場所を探していたところ、この近くのガラス工房の作家さんが今の場所を紹介してくれました。ジャングルと化した耕作放棄地で、入り口もすごく急な砂利道でしたが、登って周囲を見渡した時に、ここにワイナリーが建ち、一帯にブドウ畑が広がっている光景がぱっとイメージできました。
ここでやりたいと伝えると、その作家さんのお父さんが秋保の連合町内会長さんで、復興を応援するプロジェクトであり秋保のためにもなるからと、複数の地権者の方々から許可を取り付けてくださいました。
沿岸部でいろんな障壁があってなかなか進まなかったプロジェクトが、ここに来て歯車がかみ合って一気に動き出した感じがしました。ちょうど仙台市長が定期的に行っている農業視察で訪れ、仙台西部地区では鳥獣害が増え離農する人も増えている頃だったので、全面的にバックアップしてくれました。
視察の様子がメディアにも取り上げられたこともあって、開墾作業には延べ200人ほどの方がボランティアに来てくださいました。小さく始まったプロジェクトなんですけど、本当にいろんな方に応援していただきました。今でもそうなんですよね。食の応援と言って始めたはずが、逆に私がいつも応援してもらっているなと思うことがいっぱいあります
来春(2024年春)、ここにレストランを建てる計画を進めていて、東北の食材を徹底的にPRするつもりです。復興会議で生まれた生産者さんとのつながりを生かして、皆さんがものすごくこだわって作っている良いものを、県外、海外の方にPRして、今度こそ私が応援していければと思っています。
「テロワージュ」で東北の人・食・風景・文化を世界に伝える
復興会議での提案にも体験型の食のツーリズムは含まれていて、2015年にワイナリーをオープンしてからはその一環として定期的にワイン会を開いていました。そこで漁師さんや農家の方、鹿撃ちの猟師さんや山菜採りの名人に、その思いを語っていただいていたのですが、その話を聞いたお客さまが感激して涙を浮かべながら食事をしている。そんなシーンを何度も見て、このストーリーをしっかり伝えることが私の使命だなと思いました。
「テロワージュ東北」という名称は、フランス語で気候風土と人の営みを表すテロワールと、お酒と食を掛け合わせておいしくなるさまを表すマリアージュを組み合わせた造語です。テロワールもマリアージュも世界共通で使われているので、言葉の意味も容易に想像してもらえるかなと。その中で東北の「人」「食」「風景」「文化」を世界に伝えようというプロジェクトです。
小規模なイベントを経て、2019年に仙台市と「東北・美酒と食のテロワージュ」事業を始めました。国税庁の「酒蔵ツーリズム推進事業」にも採択され、イベント開催や海外でのプロモーション、ネットを活用したブランディングを進めました。
2020年にはクラウドファンディングで資金調達してキッチンカーを導入しました。船に乗って養殖現場を見た後、海が見える丘でその魚を使った料理を食べたり、畑で収穫体験をした後に、その野菜を使ったフルコースを食べたりというツアーを計画していたんです。しかし、これからという時にコロナ禍で実施が許されないムードになってしまいました。
最初に沿岸部のブドウ栽培がうまくいかなかったのが最初の危機、コロナ禍によるツアー断念が2回目の危機。さらに、ずっと突っ走ってきたこともあって、私はくも膜下出血で倒れてしまいました。幸い手術は成功して奇跡的に後遺症もほとんど無く復帰しました。「テロワージュ」が何も達成できてないので生かされたのかな、ちゃんと頑張れということかなと受け止めています。
テロワージュ東北とは
「究極のマリアージュ」は産地にあり、がコンセプト。東北各地の地酒(日本酒、ワイン、ビール、ウイスキーなど)と各地域の特産品、生産者、料理人、醸造家のストーリーをお酒と食のマリアージュを通して東北の魅力として世界に発信し、国内外から観光客の誘致を図る。シンボルマークはテロワージュを構成する「人」「食」「風景」「伝統文化」を表現してデザインされている。
これから本格的に活動していく段階で、中でもレストランの立ち上げは重要なプロジェクトです。ワインが好きなお客さま以外にも、食事を目的とした方にも足を運んで東北のいろんな食材を買っていただけるようになります。ワイナリーの運営が順調になれば「テロワージュ」の活動もしやすくなります。
仲間も増えていて、「テロワージュ」は女川、北三陸、福島の阿武隈にも広がっています。日本酒の浦霞さん(塩竈市)や佐々木酒造店さん(名取市)、ニッカウヰスキーさん(仙台市・宮城峡蒸溜所)といった皆さんも、自分たちのお酒で地域を盛り上げたいという思いを持って参加してくれています。
東北には良い食材がたくさんあり、それを支える生産者さんもたくさんいることを世界中の人に知ってもらえるようなツーリズムを形にしていきたいと思います。それはわれわれだけでは難しいので、旅行会社や自治体とも連携する必要があります。
海外からのお客さまは長期間滞在するので、例えば10日間日本に滞在するなら、その10日間で東北を回ってもらえたらいいですよね。生産者の思いやすてきなストーリーを聞いて感動しながら、美しい風景の中でおいしいものを食べて、五感で東北を満喫してほしいです。
もう一つ今の大きな野望は、大阪万博に「テロワージュ東北」のレストランをブース出店することです。地域の生産者とシェフと酒蔵でチームをつくって、最高のマリアージュの食事をストーリーと共に、世界中から来たお客さまに堪能いただきたい。これが実現できたら、そこから先の東北のインバウンド需要は劇的に伸びていくはずです。それだけ素晴らしいものが東北にはある。これは自信を持って言えますから。