東北復興ツーリズム推進ネットワークの目指す未来 JR東日本 小崎氏に聞く
特集 東北観光の未来
東北復興ツーリズム推進ネットワークの目指す未来 JR東日本 小崎氏に聞く

2023年5月、新型コロナウイルスの感染症法上の分類が「5類」に移行した。これにより観光需要が回復し、インバウンドも戻りつつある今、コロナ後の東北観光はどのようなビジョンを持って未来図を描くべきだろうか。

東北における復興ツーリズムを推進し、2023年7月に「東北復興ツーリズム推進ネットワーク」を発足した、東日本旅客鉄道株式会社 マーケティング本部 くらしづくり・地方創生部門 部門長の小崎(こざき)博子氏に聞いた。

東北復興ツーリズム推進ネットワークとは

東北エリアへの交流人口の拡大を通じた「復興の加速」「地域の活性化」を目指し、教育旅行、企業研修の誘致推進、旅行商品の造成、コンテンツの情報集約、モデルコースの整備などを行う。国や自治体をはじめ、さまざまな企業や団体などが参画し、ネットワーク内の連携を通じて、それぞれが持つ知見・ノウハウといった強みを最大限に活用して、東北への教育旅行の誘致に取り組んでいく。

被災地訪問が復興につながるという認識が少しずつ広がった

――東日本大震災発生時、小崎さんはどのような状況だったのでしょうか。

1993年にJR東日本に入社し、最初に配属されたのが当時の東北地域本社(現:東北本部)。ほぼ東京育ちで東北には縁もゆかりもなかった私にとって、いきなりの仙台勤務は正直に言うとショックでした。ところが、5年後には東京に戻りたくないと言って泣きました。人は変わるものです。

社会人としての基礎をつくってくれた仙台でもう一度働きたいと異動願を出し続け、ようやくかなったのが2010年のこと。仙台支社(現:東北本部)の観光開発担当の課長となり、地域の関係機関の皆さんと一緒に、観光客を呼び込む仕事に携わっていた時に東日本大震災が発生しました。気仙沼市役所に出向していた社員に電話をかけている最中でした。

JR東日本では直ちに仙台支社(現:東北本部)に対策本部を設け、情報収集にあたる一方で、私は、混乱して人手が足りないと情報の入った仙台駅に向かいました。駅構内はショーケースが倒れてガラスの破片が飛び散っていたり商品が散乱していたりと危険箇所が多く、ペデストリアンデッキと共に立ち入り禁止となっており、駅周辺は多くのお客様で混乱した状態でした。

被災直後のJR仙台駅 みどりの窓口
被災直後のJR仙台駅 みどりの窓口

雪の降る中、警察と一緒にお客様に避難場所のご案内をして、一定程度落ち着いた時に支社に戻りました。今でも忘れられないのは、その夜の星空が見事だったことです。仙台の町から明かりが消えたために実現した美しい夜空でした。

その後は、対策本部で社員の安否確認や被災地の状況把握などに追われました。がれき撤去や浸水した駅の整理などの手伝いを行いたかったのですが、そもそもの腕力の問題や、被災した地域ではトイレが確保できないといったこともあって、女性社員は対応することが難しかったのです。ヘルメットにアノラック姿で現地の把握のために石巻市に向かったのは、確か1週間後のことでした。

――復興への取り組みは、いつから、どのような形で始まったと記憶されていますか?

震災の直後は、被害があまりにも大きなものだったので、被災した人はもちろん、私たちも先のことは考えられないというのが実情だったと思います。それでも2週間後くらいから、観光推進などに一緒に取り組んできた東北運輸局が中心となり、東北観光推進機構、宮城県や商工会などのキーマンと、東北が元気を取り戻すきっかけづくりを相談する復興ワーキングを開始しました。相談を始めた理由の一つには、大きな被害を受けていない他の地域に、将来に対する不安があったことがあります。被災者のことを考えると、なかなか声に出すことはできないものの、いつになったら人に来てもらえるようになるのか、これからの東北観光はどうなるのかといった不安は小さくありませんでした。

そのような状況の中で、転機になったのが、震災約1カ月後に岩手県の酒蔵が「花見の自粛をしないで東北の地酒で被災地支援を」というメッセージを流したこと、同じころに宮城県南三陸町が「福興市」を始め、復興に向けて再スタートを切ったことです。復興ワーキングでも4月29日のプロ野球の仙台での開幕戦、同日に東北新幹線が全線で運転再開をしたこともあり、この日を観光のスタート日と決めて、お客様のおもてなしなどを行いました。

2011年4月29日に全線運転再開した東北新幹線には「がんばろう日本! がんばろう東北!」のロゴを入れた
2011年4月29日に全線運転再開した東北新幹線には「がんばろう日本! がんばろう東北!」のロゴを入れた
2011年6月ごろ掲出の中づり広告。東北観光推進機構や旅行会社と連携して被災地への誘客を図る
2011年6月ごろ掲出の中づり広告。東北観光推進機構や旅行会社と連携して被災地への誘客を図る

一連の流れにより、被災者ではなくても復興を口にしてもいいという空気が生まれたように思います。被災地を訪ねることが復興につながる、復興の手助けをしようといった認識も、少しずつ広がったのです。そこで、私たちも正しい情報を知ってもらいたいと、地域の方に案内をしてもらう被災地を巡るバスを設定する計画を開始しました。東北新幹線に加えて、仙台空港も業務を一部再開するなど、交通機関の復旧が進んだことも、被災地を訪ねる後押しになったといえます。

ただし、バスを設定するといっても、観光地に行くわけではないので、当時所有していた赤などの明るい色のバスは使用しない、写真を撮る際にピースサインなどをしたりしない、できるだけ地域のモノを購入してもらうようお客様にお願いするなど、受け入れていただく地域の方々と調整し、細かいところまで気を使って10月に1本目を運行しました。その結果、訪問した沿岸の皆さまからは復興を早めるきっかけになったと評価され、お客様からも、「私たちが訪問することが支援になると思い切って申し込んだが、旅行とは異なるこれまでにない経験で、なぜか自分たちの方が元気をもらった」という声をもらうなど、非常に満足度の高い被災地訪問になりました。

女川町での語り部ガイドの様子
女川町での語り部ガイドの様子

復興は新しい扉を開け次のステージに向かう

――東日本大震災からの復興がある程度進んだ今、なぜ「復興ツーリズム」を推進することになったのでしょうか?

私はほぼ毎年プライベートで3月に沿岸部を訪れていますが、東日本大震災から12年が過ぎ、今年3月にいわゆる「十三回忌」を迎えて、一つの区切りになったと話をされる方が増えました。また、東日本大震災を題材として取り上げた新海誠監督の「すずめの戸締まり」や、東京電力福島第一原子力発電所の事故に対応した作業員を描いた「Fukushima 50」、被災から10年後の仙台を舞台にした「護られなかった者たちへ」といった映画が上演されたことや、沿岸部の復興が進んで震災伝承施設が整備されたことによって、改めて東日本大震災や、その被害について振り返る機運が生まれました。そして、復興した後の東北をどうするのかといった声が被災を経験した地域からも上がるようになり、新しい扉を開け、次のステージに向かう時期になっていることを感じ取ったわけです。

このようにさまざまな状況を踏まえて、東北における「復興ツーリズム」を企画しましたが、実はJR東日本ではJR各社の協力のもと、震災から10年目に入る2021年にも大がかりな観光キャンペーンを予定していました。その「東北デスティネーションキャンペーン」は、コロナ禍によって十分に行うことができなかったので、「復興ツーリズム」で改めて被災地と東京をはじめとする各地のお客様とを結びたいと考えたのです。東日本大震災を仙台で経験した私が「復興ツーリズム」にかかわるのは、何か運命的なものを感じます。

――「復興ツーリズム」で届けたい東北の魅力には、どのようなものがあるのでしょうか?

四季それぞれの景観や豊かな産物、水のおいしさといった自然の恵みは、もちろん東北の魅力に挙げられますが、それにも増して伝えたいのが、東北に暮らす人々の力強い生き方や、温かさです。東北に住み続ける人の根本には、ふるさとを愛し、文化や伝統を大切にする郷土愛と呼べるものがあり、それが震災の被害を克服する粘り強さや、逆境にあっても他人を思いやる温かさなどの源になっているように感じます。

東北に暮らす人々の魅力は会ってすぐには伝わりにくいところがあり、実感できるまでには時間が必要です。そこで、「復興ツーリズム」では、一つの地域に長く滞在したり、実際に触れ合う機会を設けたりする旅行を考えていて、主要なターゲットとしては、中高生や大学生を対象とした修学旅行などの教育旅行や、企業の研修旅行などを想定しています。また、東北には特色のある郷土芸能が数多くあるので、それらを体験したり、郷土芸能を担っている地域の若者と学生たちが交流したりする機会も検討したいと考えています。

一方、震災からの復興の過程で、東北では新しい取り組みも始まっています。例えば、津波で流されたカキの養殖を再建するにあたって、養殖方法を見直して国際評価基準の取得を目指している地域があります。東北に移住してワイン造りを始めた人もいます。こうした東北の新しい魅力を紹介していく予定です。さらにはインバウンド需要の取り込みなども企画したいと考えています。

東北の活性化につながる協働のモデルを目指す

――さまざまな展開が想定できる「復興ツーリズム」ですが、具体化はどのように行われるのでしょうか? また、「東北復興ツーリズム推進ネットワーク」の役割は何でしょうか?

東北復興ツーリズム推進ネットワークは、JR東日本が中心となって呼びかけたものですが、私たちはあくまで旗振り役。参加する企業、自治体、団体がフラットな関係にある組織です。そもそもJR東日本は、東北の各地域には精通していて、さまざまなつながりもありますが、教育旅行については詳しいノウハウがあるわけではないので、旅行会社の協力を得ながら商品づくりを進める必要があります。旅行会社をはじめ、航空会社や地域の関係者などと役割を分担しながら、具体的な商品をつくりたいと考えています。

東北復興ツーリズムの目指す姿
東北復興ツーリズムの目指す姿

特に教育旅行は、教育関係者と一緒に丁寧につくる必要があり、震災や復興について解説してもらう「語り部」の継承の問題や民泊の可能性を含めた宿泊場所の準備、現地での交通の便など、時間を要するものも多く、実現は2、3年先になる見込みです。企業対象の研修や一般向けの旅行商品などはもっと早く提供できると思います。

――「復興ツーリズム」に期待するものと、これからの展望を教えてください。

東日本大震災の直後に、バスで被災地を訪ねたお客様の多くが「自分たちの方が元気をもらった」とおっしゃったように、震災を乗り越え復興した東北と、そこに暮らす人々に出会う旅行からは、元気をはじめとして、多くのものを得ることができるに違いありません。また、近年は風水害が多く、南海トラフ地震などの発生も取り沙汰されていることから、防災を考える機会という役割も大きくなることが考えられます。何を得るかは旅行に参加したお客様にお任せし、私たちはありのままの東北に触れることができる商品を用意するつもりです。

「復興ツーリズム」は、JR東日本をはじめ、企業や自治体、関係機関が一緒になって進める新しい取り組みです。被災地の復興の加速、東北の活性化につながる協働のモデルになるよう、結果を出したいと考えています。個人的には、日本に暮らす全ての学生・生徒が教育旅行で東北に行き、社会人になる前に必ず東北を訪ねるようになることを願っています。私がそうだったように、得るものは少なくありませんよ。