町の復興に役立ちたいという商工会会長の決意
楢葉町が来たるべき避難指示解除に向けて帰町準備室を開設した2014年6月に、時を同じくして設立された一般社団法人ならはみらい。現在代表理事を務める渡邉清氏は、12人の発起人のうちの一人だ。
楢葉町の農家に生まれた渡邉氏は、地元を離れて東京の企業に勤めたが30代でUターンし、布団のクリーニングやレンタルを行う「ヘルシージャパン」を起業。地元のホテルや企業の寮、介護施設などを取引先として業績を伸ばしていった。その後、楢葉町の商工会会長を務め、楢葉町の発展に貢献してきた。
そんな渡邉氏も、東日本大震災の影響で起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故により避難。先の見えない状況ではあったが、避難から約3カ月後にはいわき市で事業再開にこぎ着けた。それから約1年半後には、国から特別な許可を得て、除染作業員向けのレンタル布団の事業を行い、楢葉町にあった自社工場を再建した。
自身の事業だけでも大変な状況であったが、渡邉氏の頭の中には町の復興への思いが常にあったという。「当時私は、商工会の会長もしていたので役場との関わりも強かった。役場の人たちが深夜まで、あるいは泊まり込みで作業をしている姿は今でも覚えています。疲労で体を壊して辞めた人もたくさんいた。そんなこともあり、行政が手の届かない部分で何かやれば復興の力になれるかなと思いました」と渡邉氏は語る。
その後、行政から楢葉町の真の復興を目指す「まちづくり会社」設立の相談を受けて会議に参加。商工会の女性部長、地元の銀行や農協の支店長などいろいろな人たちが集まって、帰町に向けた計画などを踏まえた話し合いを重ね、ならはみらいの設立が決定。渡邉氏を含む、会議に参加していた12人が発起人に名を連ねた。楢葉町が目指すのは、楢葉町民が「きずな・安心・活力」を取り戻し、町民であることへの誇りを取り戻す、そうした真の復興である。
渡邉氏は、楢葉町商工会会長という立場でも奮闘。行政との官民合同チームをつくり、生活インフラを整えるために、仮設商店街(現在の「ここなら笑店街」)の設立を計画し、楢葉町に縁のある飲食店やスーパーマーケットに商工会から参加の呼びかけも行ったという。
積極的な行動を見せた渡邉氏だが、避難先から一度、楢葉町に戻った時の光景は忘れられないと話す。「音のない世界が広がっていたんです。それを目の当たりにした時は、この状態から復興して新しい町をつくることができるのだろうかという不安を感じました」。そんな経験をしたからこそ、2014年6月1日、JR常磐線の広野駅と竜田駅間での運転が再開され、電車の走る音が聞こえた時は涙が出るほどうれしかったと振り返る。
多方面からアイデアを募り新たなイベントを企画
ゼロからのスタートを迎えたならはみらいだが、会議を重ねる中で、これだけは貫くというテーマが決められた。それは「町民主体のまちをつくる」ということだ。
渡邉氏は「まちづくり会社をつくったからといって、そこだけで復興の仕事をやるのは難しい。行政の力も必要となりますし、地元企業の協力だって必要になる。さらには、町に住む人たちが新しい楢葉を一緒につくろうという思いにならないと、絶対にうまくいかないと思ったんです」と語る。
一番の課題は、町民にどのような形で参加してもらうか。しかし、その不安もすぐに解消される。復興のために何か手伝いたいという町民の声が多く聞こえてきたからだ。
そこで、ならはみらいが事務局となり、楢葉町民のボランティアグループ「なにかし隊」を結成。月に1度会議を開き、復興へ向けどんなことをしたいか、アイデアを募った。そこから生まれたのが、町内防災無線を利用したラジオ体操の放送だ。体操の前には、楢葉町を元気づける町民のメッセージを日替わりで放送。現在、楢葉町の一日は子ども園の園児の元気な声で始まる。他には、居住者が少なく閑散とした町を少しでもにぎやかにするために「かかしを作って、人間の代わりに置いてはどうか」という案が参加者から出て、「なにかし隊」のメンバーでかかしを作り公共施設など町内の各所に設置した。
町外の人たちが参加して活動するボランティア組織「ならは応援団」の設立も、人々が復興により関心を持つためのきっかけとなった。楢葉町の復興を支援する人材・知恵・活動資金が全国から集まり、町の復興につながっている。個人だけでなく団体としての登録も可能にして、気軽に参加できる環境も整えた。現在、登録者数は個人・団体を合わせて300人を超えている。その中には関東や関西の大学も入っており、学生による町民インタビュー「ならは31人の“生”の物語」のプロジェクトが遂行されている。現在もさまざまなアイデアを出してもらい、広くイベントなどを実施。楢葉町の復興や活性化につながる活動に町民や町外協力者と一緒に取り組むことで、地元住民やコミュニティーとつながって「絆」が生まれ、それが継続的な活動につながる。
「ならはみらいの基盤は、人と人とのつながり。それをこれからも大切にして、各ボランティアグループとも連携していきたい」と渡邉氏は語る。
行政との連携を強化し、企業誘致や移住定住策を推進
楢葉町の中心部に位置する復興拠点「笑(えみ)ふるタウンならは」は、商業施設、交流施設、災害公営住宅、診療所、認定こども園など、さまざまな生活機能を集約したコンパクトタウン。この「笑ふるタウンならは」にある複合商業施設「ここなら笑店街」と交流施設「みんなの交流館 ならはCANvas」について、町から受託した指定管理業務もならはみらいの大きな事業の一つだ。施設利用の促進、テナント会の運営支援、イベントの開催などを通して、町のにぎわい創出に取り組んでいる。
「ここなら笑店街は、かつて役場前の仮施設で営業をしていました。その時は、ならはみらいとして何かしたわけではありませんが、正式オープンからは指定管理者としてイベント運営などに関わっています。そのため、町全体のにぎわいを盛り上げる意味でも、行政との連携はもっと密にしていかなければいけないと思います」と渡邉氏。
行政には、得意なことと不得意なことがある。その不得意な部分を、まちづくり会社としてならはみらいが補っていくという考えを渡邉氏は持っていた。その考えは、2017年に稼働を始めた波倉メガソーラー発電所を運営する楢葉新電力合同会社に、行政からの出捐金(しゅつえんきん)2億7,000万円を出資したことにもつながる。
「まちづくり会社のような非営利団体は、どのように財源を確保するかがとても重要です。そういう点でも町と連携し、東京電力と何度も話し合いを行い、発電所でつくった電力を販売して、年に一定額の配当金を受け取れる仕組みを作りました。これが徐々に軌道に乗ってきているので、今後ならはみらいは、安定した財源を活用しながら新しいアイデアを出せると思っています」
現在、ならはみらいが力を入れていることの一つに移住定住の推進がある。過疎化が進むだけでなく、避難指示が長期間に及んだことで町を離れた人々も多い。現在の居住率は東日本大震災前の約6割まで回復したが、新しい町づくりを進めるためにも、もっと多くの人に住んでもらう必要がある。
楢葉町では、多くの企業に町へ来てもらうために産業団地の整備なども実施。企業誘致を積極的に行い、すでに4社ほどが楢葉町に拠点を置くことが決まっているという。また、ならはみらいでは、移住や起業に興味がある人のための施設「CODOU(コドウ)」も開設した。
若い世代がリーダーシップを取ることがより良い発展につながる
避難解除から8年以上の歳月がたった今、町の居住人口は4,000人を超え、住民基本台帳に記される人数の約6割となった。町にはさまざまな施設やサービスが整い、新しい楢葉町の光景が完成されつつある。だからこそ渡邉氏は、これからが大切だと気を引き締める。
「町づくりに関しては、われわれのような高齢者ではなく、若い世代が先頭に立ってやらなければいけない時期にきたと思う。今、若い人たちと定期的に集まって飲みながら語る場を設けているんです。発想豊かな若い世代からリーダーが出てくれば、より良い町づくりができるはずですが、仕事もある若い人が町づくりにどっぷり漬かるのは難しい。だから、これからの町を担う若者たちの後押しとなるように、復興の過程で得た経験や人とのつながりを継承していくことで彼らの町づくりを少しでも応援できたらと思います。若い世代が重荷に感じず、みんなで協力しながら楽しく取り組んでもらえればいいですね」と語る。
2022年8月に開催された「第1回ならは百年祭」。この新しい祭りも、町に関わるさまざまな人たちがアイデアを出し合って実現させたものだ。ならはみらいの設立から約10年がたとうとしている中で、人と人とのつながりが広がり、新しい楢葉町の姿がだんだんと見えてきているのは間違いない。2020年から、ならはみらいの専務理事を務める永山光明氏も「町で子どもの姿を見られるのは本当にうれしいこと。子どもは町の未来ですから」と笑顔を見せた。
町づくりと聞けばハードルが高く感じられるが、できることに参加してもらう、やりたいことをみんなで形にしてもらうとなれば、誰もが気軽にやってみようと思えるに違いない。決してハードルを高くせず、町内外に関わらず少しでも楢葉町に興味のある人に参加してもらうという姿勢を崩さないことが、今後も町の発展において不可欠なものになるだろう。
問い合わせ先
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企業・団体名
一般社団法人 ならはみらい
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代表者
渡邉清氏[代表理事]
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所在地
福島県双葉郡楢葉町大字北田字中満260 みんなの交流館 ならはCANvas内
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